言葉を発することの重さ。

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▲ 大阪市天王寺区の一心寺シアター倶楽。前身の劇場の頃からお世話になりました。ホールは地下にあり、お客様に呼びかけをしなくとも携帯電話の電波は届かない仕様になっているこの劇場。あえて電波が入るようにして行った試みが、そのアクシデントを生みました。

 大阪で『劇団自由派DNA』に所属していた頃。今でも忘れられない辛辣な経験をさせていただいた。

 開演前の前説で、お客様に「携帯電話の電源を切ってください」という挨拶は既に形骸化しており、僕たちはそれに抗う「何か」がしたかった。劇場に来られることに慣れているお客様にとっても、初めて足を運んでくださったお客様にとっても新鮮な「何か」…。そこで僕らは、前説でまずお客様に携帯電話の電源を「入れてください」と言うコトで、客席の皆様を通常の観劇ルールとは違ったワクワクの世界にいざなう企みを考えた。

​ その意図じたいは悪いものではなかったはず(だとは今でも思う)だったのに、それがまさかの展開を生んでしまった。

 僕らの考えた「遊び」の筋書きはこうだ。まず前説担当の役者が舞台へ出て行って、ひと通りの注意事項やお願いをお客様へ伝える。ここまではよくある光景だ。そしてここから「携帯電話の電源を…」と切り出して「入れてください」と言う。お客様が携帯電話を着信可能にしたところで、劇団の役者一同がわらわら登場し、客席へ下りて無作為に選んだお客様にに番号の書かれた8枚のカードをそれぞれ引いていただき、090(当時は携帯番号はほぼ090発信でした)から始めてその番号に電話をかけるのだ。するとあろうことか、偶然にも劇場内に着信音が鳴り、お客様の携帯電話につながってしまう。お客様と簡単なお喋りを楽しみ、そのお客様のお名前を、これから始まるお芝居のヒロインの名前にして物語が始まる! …という趣向だ。

 もちろん、しかけがあっての演出だ。お客様は決してサクラなんかじゃないが、ちゃんと場内にいらっしゃる、しかも必ず女性のお客様の番号につながるようにしてあった。前説から一連の進行役には僕が劇団代表から指名された。大抜擢だ。「え? え?」と困惑するお客様へ「あれ? どなたかの電話が鳴ってますよ。出ていただけますかあー?」とか促して電話に出ていただき、わざと「あのー、いまお忙しいですかねえ?」などと言って場を和ませる。お芝居の冒頭、アドリブによる進行を任されるという大役だった。

 演出とは、ひととおりイレギュラーな事態を想定して対面形式で予習をしておいた。驚きの余り、或いは恥ずかしがってこちらの誘導に協力いただけないケースも考えられる。だもんでターゲットになるお客様は必ずお連れ様同伴の方と、そこまで考えての「遊び」だった。

 本番を迎えて初日・2日目と、びっくりするくらいうまく進んだ。お客様をお芝居に引き込む「ツカミ」としては大成功だった。僕も有頂天だった。だけど3日目くらいだったか、その「トラブル」は起こってしまった。

 その回も冒頭、まず僕がひとりで舞台中央へ出て行く。お客様にひと通りの注意事項とお願いを説明し、携帯電話について触れ始めると、何人かのお客様は早速電源を切ろうと電話を取り出した。そこへ持って来て僕が「電源を入れてください」と客席へ伝える。場内がざわつく。狙い通りだ。と、僕はこれからちょっとした「遊び」をやりたいと、この客席からのワクワクに応えるべく話を進める。…と、場内後方のお客様が声をあげた。

「俺、ペースメーカーなんやけど」。

 ペースメーカー。携帯電話なんかの通信機器がその機能に障害を与えかねないことは僕も知っていた。だけど僕は、そのペースメーカーというものがどういう医療器具なのか、当時まるで知らなかった。演出とあれだけ想定問答していたにもかかわらず、その片隅にすら浮かばなかったペースメーカーを付けられたお客様の存在。僕は一気に取り乱した。そして、あろうことか苦し紛れにこんなことを言ってしまったのだ。

 

「あの…、そのペースメーカーを外していただくことはできますか…?」

 もう20年近く前の話だ。知らなかったのだ。とはいえ、いざそういうお客様を前にして、僕は何と非常識な言葉を吐いてしまったのか。そしてその言葉は、冷たい刃となってお客様の心を傷つけてしまった。

「分かったわ、俺が帰ったらええんやろ?」

「いえ、そんな…」

 言葉が出てこない。挙句の果てに僕が漏らした言葉がまたひどかった。

「困ったなあ…」

 困ったのは舞台の上の僕じゃない。お客様のほうなのだ。無知から生まれた僕の何気ない言葉は、お客様にとって屈辱的で、差別的で、悔しい凶器となって響き、そしてブーメランのようにまた僕のもとに帰ってきた。客席のほかの場所からも、声が飛んで来るのが聞こえた。

「そんなしょうもないもん、やめたらええ!」

「もうええやん、はよ次行ってー!」

 舞台袖で様子を見ていた代表が、リングにタオルを投げ入れるように舞台上に駆け寄って来た。ほかの劇団員もわらわら出て来て、しらけた舞台を何とか盛り上げようとしてくれた。あとはもう、よく覚えていない。でもこれはお芝居のオープニングなのだ。これからお芝居が始まり、お客様はそれを観て、僕はいち役者として演じなければならないのだ。

 その直後の舞台裏。ステージでは、かろうじて体裁をなして本番が進んでいる。楽屋前には、今では考えられないけれど通路脇に喫煙スペースがあった。ベンチに座って呆然とタバコをくゆらす僕に、スタッフも出演者も誰も近づいてこなかった。「やらかしちまったとき」によくある光景だ。そんな中、役者もこなす演出がやって来て、僕の横に腰を下ろしてタバコに火をつけた。紫煙と一緒に吐き出したのはたったひと言。

「…ペースメーカーは、想定外やったなあ…」

 引きつった愛想笑いでそれに答える僕。そして演出は、正面を向いたまま噛みしめるように僕に言った。

「でもなあクドウ。あそこで『困ったなあ』っていうセリフは、絶対言ったらあかんで。投げ出したのと同じや」

「…はい」

 それだけ言うと、演出はタバコをもみ消して立ち上がった。後にも先にも、この劇団で本番中にダメ出しを貰ったのはあのときだけだった。

 舞台上からお客様に言葉を届ける難しさ。そこには当たり前にしてデリケートな責任が伴う。お客様はお芝居を楽しみに来てくださっている。僕らもまた、お客様に表現を堪能していただきたいと願っている。だからこそ「知らなかった」では済まされないことがある。

 何事も、勉強だ。

​ そんなことを痛感した、あまりにも厳しい経験だった。