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関連年表
1909
②ミープことヘルミーネ・ザントロシェッツ、ウイーンに生まれる(15日)。
1914
⑦第1次世界大戦勃発。
1918
⑪オーストリアが連合国と休戦協定締結。オーストリア革命、帝政廃止後共和政に移行。同月ドイツでも革命が勃発、帝政廃止。第1次大戦休戦。ドイツ、オーストリアら同盟国は降伏。
1919
①ドイツ労働者党(のちのナチ党)設立。
⑥ヴェルサイユ条約締結、ドイツの賠償責任が確定。
⑧ドイツにてワイマール憲法公布、共和政が始まる。
⑨ヒトラーがドイツ労働者党入党。

1920
②国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP=ナチ党)と改称。
⑧第7回夏季オリンピック大会がベルギーのアントワープで開幕(第1次大戦敗戦国のドイツ、オーストリアなど5カ国は参加禁止)。
⑫ミープ、オランダ・ライデンの二ーウェンハイス夫妻のもとへ里子に出される。
1921
⑤賠償委員会がドイツの戦後賠償金を1,320億金マルクと決定。
⑦ヒトラー、ナチ党第1議長(党首)に就任。
⑨ナチ党が突撃隊(SA)創設。
1922
④ラパロ条約締結、独ソ国交回復。
⑩イタリアにて国家ファシスト党のムソリーニが首相に就任。
この年、二ーウェンハイス一家が南アムステルダムへ移住。
1923
①フランス、ベルギーがドイツの賠償金未払いを理由にルール地方(石炭・鉄鋼の産出中心地)を占領。ドイツ財政破綻、経済がハイパーインフレに陥る。
⑪ミュンヘン一揆。ナチ党員らによるクーデター未遂事件によりヒトラー逮捕。
1924
⑧ドイツ賠償問題に関する緩和策(ドーズ案)が成立。
この年、ヒトラーが獄中にて『我が闘争』を口述筆記。⑫ヒトラー釈放。
1925
④ナチ党が親衛隊(SS)を組織。
⑤オットー・ハインリヒ・フランク、ユダヤ人資産家の二女エーディト・ホレンダーと結婚。フランクフルト・ヴェステント地区のヨルダン通りにあったオットーの実家で生活を始める。
⑫ロカルノ条約調印。ドイツ西部・ラインラント地方の非武装を確認、ヨーロッパにおける安全保障体制が成立する。
1926
②マルゴーことマルゴット・べッティ・フランクが誕生(16日)。
④独ソ中立条約(ベルリン条約)締結。
⑨ドイツが国際連盟へ加盟、常任理事国となる。
⑪ペーター・ファン・ダーンことペーター・ファン・ペルス、ドイツ中部のオスナブリュックに生まれる(8日)。
1927
秋、フランク一家がフランクフルト郊外のマールバッハ通り307番地のアパートへ転居する。
1928
⑤ドイツ国会選挙。ナチ党は12議席に留まる(491議席中)。
⑦第9回夏季オリンピック大会がアムステルダムで開催。
1929
⑥アンネことアンネリース・マリー・フランクが誕生(12日)。
⑧賠償委員会により策定されたヤング案が正式採択され、ドイツの賠償負担が更に緩和。
⑩ニューヨーク・ウォール街の株価が大暴落。世界恐慌始まる。
1930
⑨ドイツ国会選挙。ナチ党が107議席を獲得(577議席中)、第2党に躍進。ドイツへの海外資本の引き揚げが顕著となり、年末までに失業者が400万人を超える。
1931
③フランク一家、ガングホーファー通り24番地のアパートへ転居する。
⑤オーストリア国立銀行が破綻。
1932
⑦ドイツ国会選挙。ナチ党が230議席を獲得(608議席中)、第1党となる。
⑨ドイツ共産党提出のパーペン内閣不信任案がナチ党の賛成を得て可決、国会解散。
⑪再びドイツ国会選挙。ナチ党は196議席を獲得(584議席中)して第1党を確保。
⑫ドイツ、ヒンデンブルク大統領の組閣命令を受けてシュライヒャー内閣が誕生。
1933
①シュライヒャー内閣総辞職、ヒトラーがドイツ首相に就任。
②ドイツ国会議事堂放火事件発生。これを主導したとされる共産党への弾圧が始まる。
③ドイツ国会選挙、ナチ党は288議席を獲得(647議席中)。同月、ヒトラーにより全権委任法が制定され、ナチ党の一党独裁体制が確立。
③日本、国際連盟脱退を通告。
⑥オットーがフランクフルトから単身アムステルダムへ移住。ほどなくトラフィス商会(オペクタ商会)の経営者となる。エーディト、アンネ、マルゴーはドイツ・アーヘンに住むエーディトの母、ローザ・ホレンダーのもとで暮らすことに。
⑨エーディトがアムステルダムのオットーのもと(ザウト地区・メルヴェデプレイン37番地のアパート)へ移る。
⑩ドイツ、国際連盟を脱退。
⑩オットーの母、アリーセ・べッティ・フランク、スイスのバーゼルへ亡命。
⑫マルゴー、アムステルダムに移住。
1934
②アンネ、アムステルダムに移住。
⑤アンネ、自宅近くのモンテッソリ・スクール付属幼稚園に入学。
⑥「長いナイフの夜」事件。ナチ党により、前首相シュライヒャーやSA幹部などの政敵が粛清・殺害される。
⑧ヒンデンブルク大統領死去。ヒトラー、首相職と大統領職を統合して総統となる。
1935
③国際連盟管理下にあった独仏国境のザール地方がドイツに復帰併合。同月、ドイツがヴェルサイユ条約を破棄して再軍備を宣言。義務兵役制が復活する。
④イギリス、フランス、イタリアによる反独会合が開かれ、連携を確認(ストレーザ戦線)。
⑤ドイツの再軍備に対して仏ソ相互援助条約が締結される。
⑥英独海軍協定締結。独伊接近も加わりストレーザ戦線はわずか2ヶ月で崩壊。
⑦モスクワにてコミンテルン(国際共産党)第7回大会開催。反ファシズムの人民統一戦線の方針が打ち出される。
⑨アンネ、幼稚園に併設するモンテッソリ・スクールに入学する。
⑨ドイツにてニュルンベルク法制定、ユダヤ人の公民権が剥奪される。同日、ハーケンクロイツ旗が正式にドイツ国旗とされる。
1936
③ドイツがロカルノ条約を破棄して非武装地帯のラインラントへ進駐。
⑦スペイン内戦勃発。のちに反乱軍司令官となったフランコ将軍をドイツ、イタリアが支持。
⑧第11回夏季オリンピック大会がベルリンで開催(スペイン政府は大会をボイコット)。
⑪日独防共協定締結。
1937
④ドイツ空軍がスペインのゲルニカを爆撃。
⑤イギリスでチェンバレン内閣成立(宥和政策が本格化)。
夏、ファン・ダーン一家がアムステルダムに移住。
⑫イタリア、国際連盟を脱退。

1938
③ドイツがオーストリアを併合(アンシュルス)。
⑥オットー、ペクタコン商会を設立。
⑨ドイツ、イタリア、イギリス、フランスによるミュンヘン会談。ドイツ系住民が多数を占めるチェコスロバキア・ズデーテン地方のドイツへの割譲に合意(英仏の宥和政策)。
⑪パリのドイツ大使館員がポーランド系ユダヤ人青年に殺害される事件が発生。これを受け、ドイツ各地で多くのユダヤ人居住地域などが襲撃される(水晶の夜=クリスタルナハト)。
⑪デュッセルことフリッツ・プフェファーが恋人のシャルロッテと共にアムステルダムへ移住。
1939
③エーディトの母、ローザがアーヘンからフランク一家のもとへ移住。
③チェコスロバキア解体。ドイツがボヘミア・モラヴィア地域の保護領化を宣言。
④フランコ将軍がスペイン内戦の勝利宣言。
④ハンガリー、国際連盟を脱退。
⑤スペイン、国際連盟を脱退。
⑧独ソ不可侵条約締結。
⑨ドイツ、ポーランドへ侵攻。イギリス、フランスがドイツに宣戦布告して第2次世界大戦が勃発。同月、ソ連が東部よりポーランド侵攻を開始(ポーランド分割)。
⑪ソ連、フィンランドへ侵攻(冬戦争)。
⑫国際連盟、ソ連を除名。
⑫親衛隊(SS)大尉のアドルフ・アイヒマンが、ドイツ占領地域からの「ユダヤ人移送問題」に関する本部長に着任。
1940
③冬戦争終結、モスクワ講和条約。フィンランドの大幅な領土がソ連に割譲される。
④ドイツがデンマーク、ノルウェーに侵攻。デンマークは無血占領される。
⑤ドイツがフランス、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクに侵攻。同月、オランダとベルギーが降伏。同月、イギリスにてチャーチルが首相に就任。
⑤ポーランド南部のオシフィエンチム郊外に建設されたアウシュヴィッツ強制収容所が使用開始される。
⑥イタリアがイギリス、フランスに宣戦布告。
⑥ノルウェー降伏。同月、ドイツ軍がパリ無血占領。フランス降伏により独仏休戦協定締結。ド・ゴール将軍がロンドンに亡命政府「自由フランス」を組織。
⑦フランス中部のヴィシーを首都に、ペタン元帥を主席とする政権が成立(ヴィシー政府)。ドイツとの協調路線を図る。
⑧ソ連がバルト三国(リトアニア、ラトビア、エストニア)を相次いで併合。
⑨日独伊三国同盟締結。
⑩ドイツ占領下のフランスにて反ユダヤ法が可決。
⑩イタリア、ギリシャへ侵攻。
⑫トラフィス商会、ペクタコン商会のオフィスがプリンセンフラハト263番地に移転。
1941
③ユーゴスラビアでクーデター発生、親独政権が崩壊。
④ドイツ、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアがギリシャおよびユーゴスラビアに侵攻。同日、ユーゴスラビアはソ連と不可侵条約を締結。
④日ソ不可侵条約締結。
④ユーゴスラビア、ギリシャが相次いで降伏。
⑤パリ在住のユダヤ人がフランス国内の強制収容所に収監される。
⑥ドイツ、ソ連を奇襲攻撃(独ソ戦開始)。
⑥フィンランドがソ連に宣戦布告(第2次ソ連・フィンランド戦争)。同月、ハンガリーがソ連に宣戦布告。
⑦ドイツ占領下のパリでユダヤ人が大量検挙される。
⑦ミープ、アムステルダム市役所の社会福祉局に勤めるヘンクことヤン・ヒースと結婚。
⑧イギリス、ソ連が油田および補給線確保のため、親独政権のイランに侵攻(翌月テヘランを占領)。
⑩収容者増加に伴い、オシフィエンチムに隣接するブジェジンカ村にアウシュヴィッツ第2強制収容所ビルケナウが設けられる。
⑩アンネとマルゴー、新たに設立されたフォールマーリゲ・スタツティンメルタインのユダヤ人中学校へ転校する。
⑫イギリスがフィンランド、ハンガリー、ルーマニアに相次いで宣戦布告。
⑫日本が真珠湾を攻撃。アメリカ、イギリスに宣戦布告。
⑫中華民国が日本、ドイツ、イタリアに宣戦布告。オランダが日本に宣戦布告。ドイツがアメリカに宣戦布告。同月、日本が香港占領(香港のイギリス軍降伏)。
1942
①日本がマニラを無血占領。同月、日本がオランダに宣戦布告。
①ドイツにおいて、ヨーロッパのユダヤ人絶滅に関するヴァンゼー会議が行われる。
①エーディトの母・ローザが死去。
②日本がシンガポール占領。
③日本が東部ニューギニアを占領。ジャワ島のオランダ軍が日本に降伏。
④占領下オランダにおいて、ユダヤ人が「ダヴィデの星」を衣服に取りつける条例が発効。
⑤日本がビルマを占領。
⑥12日、アンネ13回目の誕生日。オットーより贈られた日記帳の記述が始まる。
⑦マルゴーへの召喚状が届いたことにより、フランク一家がプリンセンフラハト263番地での〈隠れ家〉生活を始める(6日)。同月、ファン・ダーン一家が合流。
⑧ドイツ国防軍がソ連の工業都市・スターリングラードを攻撃、スターリングラードの戦いが始まる。
⑩アウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所に程近いモノビツェにブナ収容所が設置。以降ドイツの大企業やプラントに隣接する形で40以上の収容所が建設される(これら収容所群はのちにアウシュヴィッツ第3強制収容所モノヴィツと改称)。
⑪〈隠れ家〉にアルベルト・デュッセルが加わる。
1943
②スターリングラードの戦いが終結、ソ連赤軍が勝利宣言。
⑦連合国軍がイタリア・シチリア島に上陸。同月、クーデターによりムソリーニが失脚、逮捕・拘束される。
⑨イタリアが連合国に無条件降伏。同月、ドイツ空軍によるムソリーニ救出作戦が成功。イタリア北部のドイツ軍支配地域にイタリア社会共和国(RSI)が樹立。
1944
⑥連合国軍、ノルマンディー上陸作戦開始。
⑧アムステルダムのSS保安部(SD)により、隠れ家のアンネたちが逮捕される(4日)。
⑧ルーマニアでクーデターが発生、政権崩壊。ソ連と休戦協定締結。同月、連合国軍によるパリ解放。ヴィシー政府崩壊。
⑨ベルギー解放。ブルガリアでクーデター勃発、政権が交代。連合国側へ鞍替えし、ドイツへ宣戦布告。同月、フィンランドがソ連、イギリスとモスクワ休戦協定締結。
⑩アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所のガス室にてハンス・ファン・ダーンが殺害される(46歳)。
⑫ノイエンガンメ強制収容所にてデュッセルが死亡(55歳)。
1945
①10日、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所にてエーディトが死亡(44歳)。
①27日、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所がソ連赤軍により解放される(オットー解放)。
②クリミア半島でアメリカ、イギリス、ソ連首脳によるヤルタ会談開催。第2次大戦の戦後処理やソ連の対日参戦、国際連合創設について協議される。
この頃、ベルゲン=ベルゼン強制収容所にてチフスによりマルゴー、アンネが相次いで死亡(マルゴー19歳、アンネ15歳)。
④12日、アメリカのルーズヴェルト大統領が病死。トルーマンが大統領就任。
④13日、ソ連がウイーン占領。
④15日、イギリス軍によりベルゲン=ベルゼン強制収容所が解放される。
④16日、ソ連赤軍とドイツ国防軍・武装SSによるベルリン市街戦が始まる。
④27日、ムソリーニがパルチザン(抵抗運動を行う非正規軍)により捕えられ、処刑される。
④29日、ダッハウ強制収容所が解放。アメリカ陸軍により収容所職員やドイツ軍捕虜の殺害・処刑が行われる(ダッハウ虐殺)。
④30日、ヒトラーがベルリンの総統官邸地下壕にて自殺。
⑤2日、ソ連赤軍がベルリン占領。
この頃、ペテロネッラ・ファン・ダーンが死亡(正確な日付や場所は不明、44歳)。
⑤5日、アメリカ軍によりマウトハウゼン強制収容所が解放される(ペーターはその直前、あるいは直後に死亡。赤十字報告では解放当日を死亡日と推定、18歳)。
⑤7日、ドイツが連合国に降伏(批准文書調印は翌日)。
⑥オットー、アムステルダムに帰還。
⑦ベルリン郊外のポツダムにてアメリカ、イギリスソ連首脳によるポツダム会談開催(連合国の戦後処理構想における最後の会談)。
⑧広島、長崎に原爆投下。ソ連が日本に宣戦布告。同月15日に日本が無条件降伏。
⑨日本が降伏文書調印、第2次世界大戦終結。
⑩国際連合が発足(原加盟国51カ国)。
⑪ナチス・ドイツ指導者および戦犯を裁くニュルンベルク国際軍事裁判が始まる。
1946
⑥イタリアが国民投票により王政廃止を決定。
⑩ニュルンベルク裁判判決(被告24名のうち死刑12名、終身刑3名、有期禁固刑4名、無罪3名、審理中死亡・除外2名)。オーストリア内相やオランダ総督(国家弁務官)を務めたザイス=インクヴァルトは死刑。
1947
②イタリアら旧枢軸国5カ国と連合国の講和条約が個別に締結される(パリ条約)。
⑥アンネの日記のオランダ語初版『Het Achterhuis(後ろの家)』が出版される。
⑦アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所跡地が博物館として開館。
1948
①イタリア共和国が成立。
⑤イスラエルが独立宣言。
1949
⑤イスラエルが国際連合加盟を承認される。同月、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)成立。
⑩ドイツ民主共和国(東ドイツ)成立。
1951
⑨日本がサンフランシスコ講和条約締結(翌年発効)。アメリカ、イギリス、フランスなどとの戦争状態が終結、占領終了。
1952
⑥文藝春秋社より『Het Achterhuis』の日本語版『光ほのかに~アンネ・フランクの日記』が出版される(皆藤幸蔵訳。のち『アンネの日記』に改題)。
⑨西ドイツがイスラエルに対し、最大14年間にわたり総額30億マルクを物資で支払う協定に調印(ルクセンブルク補償協定)。
1953
⑪オットー、ウイーンでエルフリーデ・ガイリンガーと再婚する。
1955
⑤オーストリア国家条約調印。連合国4カ国(アメリカ、ソ連、イギリス、フランス)による分割占領から完全な独立を取り戻す。
⑨ソ連がドイツとの戦争状態終結宣言を行う。
⑩ハケット夫妻の戯曲『アンネの日記』がニューヨークのブロードウェイで初上演される(この年ピュリッツァー戯曲賞を受賞)。
⑩オーストリアが永世中立国を宣言。
④イギリスのチャーチルが首相を辞任、保守党党首を引退する。
⑤西ドイツが主権の完全回復を宣言。再軍備のうえ北太平洋条約機構(NATO)に加盟。
⑫オーストリア、イタリアが国際連合に加盟。
1956
①東ドイツがワルシャワ条約機構に加盟。
⑩日ソ共同宣言、日本とソ連の国交が回復。
⑫日本が国際連合に加盟。
1957
⑤アンネらが暮らした〈隠れ家〉を維持するため、アンネ・フランク財団が設立される。
1959
①コープハイスことヨハンネス・クレイマン、アムステルダムで死去(62歳)。
③20世紀フォックス配給のアメリカ映画『アンネの日記』が公開される(ジョージ・スティーヴンス監督、アカデミー賞3部門受賞)。
1960
⑤アンネ・フランク財団により、プリンセンフラハト263番地の〈隠れ家〉および周辺建物が復元され、博物館「アンネ・フランクの家」として開館する。
1961
④前年にアルゼンチンで逮捕された元SS中佐、アドルフ・アイヒマン(ユダヤ人のホロコーストに関与)の裁判がエルサレムで始まる(12月に死刑判決)。
⑧東ドイツが東西ベルリンの境界を封鎖して壁を建設(ベルリンの壁)。
1963
①オットーらにより、スイスのバーゼルにアンネ・フランク基金が設立される。
1972
この年、エルサレムのヤド・ヴァシェム(ホロコースト犠牲者追悼のためのイスラエル国立記念館)がヒース夫妻、クラーレルことヴィクトル・クーフレル、エリーことエリザベス(ベップ)・フォスキュイルの4名に「諸国民の中の正義の人」の称号とメダルを贈呈する。
1973
⑨東西ドイツ両国が共に国際連合へ加盟。
1977
ニューヨークに「米国アンネ・フランク・センター」が開館(2016年に「アンネ・フランク相互尊重センター」と改称)。
1979
この年、アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所跡地がユネスコ世界文化遺産に登録される。
1980
④アンネの生誕50周年を記念して、兵庫県西宮市に「アンネのバラの教会」が献堂される。
⑧オットー、バーゼル郊外にて死去(91歳)。
1981
⑫ヴィクトル・クラーレル、カナダのトロントにて死去(81歳)。
1983
⑤エリー・フォッセンが死去(63歳)。
1987
⑧西ベルリンのシュパンダウ戦犯刑務所(アメリカ、イギリス、フランス、ソ連が共同管理)に収監されていた元ナチ党副総統のルドルフ・ヘスが自殺(93歳)。これにより、ヒトラー政権の閣僚経験者はすべて他界。
1989
⑪ベルリンの壁崩壊。
⑫東ドイツで憲法が改正され、ドイツ社会主義統一党(SED)の一党独裁制が終焉。同月、米ソ首脳によるマルタ会談で東西冷戦の終結が宣言される。
1990
⑩東西ドイツが統一される。
1991
⑦ワルシャワ条約機構が解体。
⑫ソビエト連邦が崩壊。
1993
①ヘンクことヤン・ヒース、アムステルダムで死去(87歳)。
⑪ヨーロッパ連合(EU)が発足する(当初の加盟国は12カ国)。
1995
①オーストリアがフィンランド、スウェーデンと共にEU加盟。
1997
⑥フランクフルトに教育施設「アンネ・フランク青少年センター」が開館する(2013年に「アンネ・フランク教育センター」と名称変更)。
1998
⑥ナチス・ドイツの犯罪とアンネのメッセージを記憶に留める施設「アンネ・フランク・ツェントルム」がベルリンに開館。
2009
この年、アンネの日記がユネスコ記憶遺産(世界の記憶)に登録される。
2010
①ミープ、オランダ北部のホールンで死去(100歳)。
2016
①前年12月末日をもって著作権の保護期間が終了したことを受け、ヒトラーの『我が闘争』がドイツ国内で再出版される(学術的な注釈付き)。


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